亀戸天神
菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」
と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。
正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は
神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、
遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、
村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、
天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。(ホームページより)
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池には無数の亀が・・・ |
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本殿に向かって左側に牛の像があります。拝殿の折に親しく触れることにより病を治し、知恵を授かるといわれています。
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行ったときは時期が遅れて満開の藤を見ることが出来ませんでした。 |
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五歳管公像 台座には五歳のとき庭前の紅梅を詠まれた和歌を刻してあります。
「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」 筆塚は学問向上 書道上達など・・・
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おまけ
帰り道ちょっと回り道をして赤穂浪士吉良邸跡を見てきました。
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現在も上野介の首を洗ったという井戸がありました。 |
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